2026.02.03

高虎公がつくった「津藩32万石」ってどれくらい凄いの?〜お米と経済の不思議な関係〜

前回は、藤堂高虎公の「まるもちの逸話」や、人情味あふれる街づくりのこだわりについてお話ししました。 そんな高虎公が治めていた津藩は、歴史の教科書風に言うと「津藩32万石(さんじゅうにまんごく)」。

「〇〇万石ってよく聞くけど、実際どれくらいの価値があるの?」 今回は、そんな疑問をスッキリ解決!当時のパワーバランスを現代の感覚で覗いてみましょう。

「石高(こくだか)」はお金じゃなくて「お米」の量!
江戸時代、武士の力や街の豊かさを表す単位は、円ではなく「石(こく)」というお米の量で測られていました。

1石(いっこく)= 大人が1年間に食べるお米の量(約150kg)
32万石 = 32万人の人が1年間食べていけるだけのお米が収穫できる!

つまり「32万石」とは、「32万人の命を支えられる、とてつもなく豊かな土地」という意味なんです。現在の津市の人口が約27万人(2026年時点)ですから、当時から今の津市全体を余裕で養えるほどの巨大な経済規模を持っていたことになります。

津市の中心部交差点

全国トップクラス!高虎公の「信頼の証」
実は、この「32万石」という数字には高虎公の凄さが隠されています。

江戸幕府を開いた徳川家康公から見て、高虎公はもともと「外様(とざま)大名」という立場でした。それにもかかわらず、伊勢(三重県)というお伊勢参りの要所にこれほどの大きな領地を任されたのは、高虎公の築城技術と誠実さが、幕府から圧倒的に信頼されていた証拠なのです。

全国で見ても、32万石以上の大名はほんの一握り。
津のまちは、日本を代表する「超エリートな城下町」として栄えていきました。

津城跡案内板

資料館で体感!32万石を支えた「城下町の知恵」
津センターパレス1階の「津城下町テラス」では、この豊かな32万石の暮らしを支えた知恵を詳しく紹介しています。

石垣の高さに注目: 32万石のプライドをかけた、高虎流の高石垣の秘密。
街歩きマップ: たくさんの武士や商人が行き交った、活気ある当時の区割りを今の地図と比較。
暮らしの記憶: お米が経済の主役だった時代から、昭和・平成の商店街へ。時代が変わっても「津の真ん中」であり続けた歴史を年表で辿れます。

お城公園

数字の裏にある「物語」を見つけよう
「32万石」という数字を知ると、いつもの津城跡の石垣や、丸之内の広い通りが少し違って見えてきませんか?高虎公が築いたこの豊かな基盤が、今の私たちの暮らしにどう繋がっているのか。ぜひ、津センターパレス1階のテラスで、当時の熱気を感じてみてください!

・1/100の津城下模型: 高虎公が仕掛けた「守りの秘密」が一目で分かります。
・藤堂高虎の甲冑: 高虎公の力強さを感じる、迫力の展示を間近で。
・その他にも「高虎公年表」や「津のまち年表」など歴史の情報が満載!

入館は無料です。飲食OKのテラス席も完備で、勉強やお散歩、お買い物ついでに、ふらっと立ち寄れる「街の縁側」として、ぜひ遊びに来てください。

場所/津センターパレス 1階 開館時間:9:00〜19:00


次回は、『津の街は巨大な迷路!?高虎公が仕掛けた「おもてなし」と「要塞」のヒミツ』をお届けします。お楽しみに!


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